2020年代(現在)
ミルクラッシュ
mirucrash
群大の中で最年長の長老馬です。馬に慣れていない1年生の練習馬として頑張っています。他の馬にちょっかいを出されても涼しい顔をして大人の対応をしています。(単にぼーっとしているだけかも。)
モンカプゥ
monkapu
紅姫
kohime
G.マカハ
G.MAKAHA
今年度の5月に来た新入り。新入部員とは同期。すごく大きい。
ほかの馬たちがまだ怖い様子ですが、現在は大場先生の調教を受け、果敢に反抗しています。多分叱られていることをまだ理解していない……。
噛むというよりパワーでゴリ押す脳筋最年少
G ・デアモンド
G.DEAMODO
5月下旬に群大に戻ってきました。戻りたての頃はよく暴れ、繋ぎ場へ連れていくのにも一苦労な時期もありました。
力強さと馬場競技のポテンシャルがあるので扱いが少し難しいところもありますが優秀な馬です。
アヴェマリア
AVEMARIA
手入れのしやすさは6頭の中で圧倒的ナンバーワン。とても大人しく、撫でていても噛んでくることはほとんどないほどです。
人が乗ると落ち着きがなくなってまだ不安定ですがまだまだ若いので今後の成長が楽しみです。
2010年代
紅姫
みんなからは「ヒメ」って呼ばれてます!女の子だからほかの馬より小さめで華奢ですがパワーは負けてません。
乗り手の人間性を見極める能が長けてますので、長く付き合っていた O G の方には人気があります。 熊癖しているのが、トレードマークみたいなところもあります。触られるのを嫌がりますし、他の馬との相性や発情、蹴りなど気をつけないといけないことが多い馬ですが、まあ「姫」なんでしょうがないですね。機嫌の上がり下がりが大きく、ある意味、一番人間に近いのかも。
「これは熊癖じゃなくて、リズムにのってるのよ。おわかり?」
錦王(ニシキング)
皆さんごきげんよう。私の名前は錦王。キングとよく呼ばれております。
パナソニックシステムネットワークス馬術部からやってまいりました。ご飯をくれる人にはちゃんとお辞儀をして挨拶!挨拶は紳士の嗜みでございます。もう若くはないので足腰が痛いけれども、障害だってちゃんと飛べますとも。
G・デァモント
この子の名前は、G.Der.Mond Gはおそらく群馬のGで、Der.mondはドイツ語で月という意味です。
みんなからは、Gちゃん!や、デァと呼ばれています。最近は人を落とすことも少なくなってきており、大人の階段を駆足で乗り越えています。そんなGちゃんはやっぱり、わがままで無邪気でとぉぉってもかわいい子です。
トップディアマンテ
こんにちは、僕はトップっていうんだ。臆病者でよく噛んだり怒ったりしちゃうけど、みんな僕のこともっと可愛がってくれよ!!
ご飯のときはいつも興奮しちゃうほどご飯大好き!付き合ってみると案外かわいいやつなんだよ。
ミルクラッシュ
ミルクラッシュにインダビューしてみたところ、「ミルミル!ミルミルミルミルミル!」とのこと。ミル語わからぬ。
そんなあなたのための日本語訳(みんな、ミルの髪型長くて鬱陶しいよ、どうにかしてよ。って思ってたらすごいパッツンになったよ。だんだん伸びてきて今は良い感じだよ。四大戦では障碍で大活躍したよ!夜は馬房外に徘徊するのが日課だよ。そのせいで細かい傷を作っちゃうんだ・・・傷を見つけてね。ときどきしろさんやトップさん、もんさんの馬房に入るよ。だって寂しいんだもの。)
群雪華
おいどん、葦毛のおじさんでごわす。皆には、「ユキちゃん」と呼ばれ可愛がられているでごわす、本職は馬場でごわす、一度大会に出れば、都市も忘れて障害現役とばかりに美しい演技をするでごわす。青リボンも獲っちゃうよー!的な勢いでごわす。おいどんの、これからの大会結果に要注目でごわす。従順で脚反応の良いおいどんでごわすが、果たしていくつまで生きられるのか・・・?ドキドキハラハラのおいどんの今後にご期待あれ!
流星群
写真がありません。
ども、流星群です。みんなは ながれ って呼びます。
体は大きいけど心はちっちゃいので、あんまり驚かさないで下さい、まだまだ発展途上だけどきっとこれから伸びるから、期待して待っててよね!!!
2005年代
ヴィヴィット
言わずと知れた、じじ様です。一番の古株です。おだやかな春は、初心者の引き馬に最適なので、こき使われます。でも、その分、一年生にいち早く名前と顔を覚えてもらえます。「・・・人気者。」
あっつ~い夏は、バテバテです。老体にはこの暑さはきついです。普段はあまり水を飲みませんが、ポカリをいれるとガブガブ飲みます。・・・以下省略。
ブリューテ
こんにちは。当番の浅沢です。春風はお腹だけ出ているという印象がありますが、 最近は全体に筋肉がついてきていい感じです。
今年はなかなかの活躍をしてくれた春風ですが、僕が元気なうちは まだまだ頑張ってもらうつもりです。よろしくね、春ちゃん。
ベルフレール
おデブちゃんです。脚とかは細いくせに腹はでてるもんだから余計に太って見えます。
顔はひいき目なしにみてもとてもヵヮ。゚+.(・∀・)゚+.゚ィィ!!ですね。
時折凶暴な面を見せますが、仲良くなればそれもだいぶなくなります。お腹がすくと見境無いです。何よ、近寄るんじゃないわよ。いいからはやくごはんもってきなさいよっ!きーっ!
日向
日向は群大の中では一番背が高くて、脚が長くて、スタイル抜群です! 人も馬もあまり好きではないですが、一人にされるのは苦手です。
最近は練習の後の黒砂糖が何よりの楽しみです。競走馬時代を思い出して馬場の中を 走り回ることがありますが、それはご愛嬌。上手に乗ってください。
群青藍
こんにちは。群青藍です。みんなクロとかアオとか呼んで名前も群青藍だし何か色だらけだね。センスがないよセンスが!まったく・・・。でも危うくクロマティになるとこだったんだよね。ふ~っ(汗)
あー、今日も暇だな・・・おっ!人がキタ━(゜∀゜)━!威嚇しちゃえ!ガォーッ・・・やべっ当番だ!逃げれー(汗)
ハッピーレイクス
こんにちはレイクスっす。力いっぱい走るのとご飯が大好きっす。最近シマシマの木をまたぐと褒められるのでよく木を跨ぐのをやるっすよ。はまると結構楽しいっすね。
おっ!飯っすか!飯っすか!違うんですか・・・。残念。うわっ何するっすか。!やめてっ!顎触らなっ・・・!やめろって八木は・・・。
コイノボリ
コイノボリです。ノボル君と呼ばれてたり。とてもイケメン。 ややウェーブがかった髪が素敵すぎます。らぶりー。まだまだ子供っぽいですが、能力を感じます。
ごはんだいすき!!って感じです。ごはん時になると鳴きます。ひひーん、と いななきます。これがまたうるさいのなんの。もう少し、落ち着いてほしいなあ。
2000年代
群稜
東京大学馬術部から譲り受けた馬です。 彼は馬場馬術用に調教された馬で、難しい動きも難なくこなしてくれました。乗り手の技量を見る馬で、中途半端な扶助ではなかなか動いてくれませんが、一度手の内に入ってくれればかなりの動きをしてくれました。
繋ぎ場につながれ、そこで見せるのほほんとした彼の顔は、まるで無の境地を開いた馬にも見えます。でも繋ぎ場で眠って転びそうになるのは、無の境地とは違いますが。
ガーネット
ライディングファームKaiより頂いた馬です。
外見はかなり細く、性格は素直ですが、落ち着きがありませんでした。
騎乗の際には反動が小さく、とても乗りやすいのですが、多少かかりやすく体にパワーがたりない事が欠点でした。
H15年、放牧中の怪我により、退厩しました。
1995年代
アーノルド・ボーヤ
彼は静岡県榛原郡金谷町からやってきました。 購入費は当時の金額で70万円でした。
プロの目から見られても、この馬は十分な働きをしていますし、その貢献度には胸を張れました。初期調教が済んだ段階で群大へ来ました。 長年の銀鞍の成績紹介にもある通り、常に試合では安定した実力を発揮し、多くの学生に「ゴールを切る」あの言葉では絶対に表現できない感覚を与え続けてくれた彼には、脱帽です。
ルガー・パイソン
ルガーの体が大きいのは、ただ体高が高いだけでなく、発達した筋肉が隆起し、横幅も十分あることによる。その馬の持つ瞬発力、前進気勢は群を抜くものがあった。その潜在能力はかなりの物で、実際に部外の方からも高い評価を受けた。
障碍飛越でいえば、150の単発障碍も楽に飛べた。2001年から右目の病気で試合には出られなくなってしまったが、扶助への正確な反応や従順性は変わらず、新入生達の練習馬として欠かせない存在となった。
紀香蘭
平成3年、当時の高崎乗馬から井筒卓氏よりご寄贈いただきました。「紀香蘭」という名前が付いていますが、普段はロア(以前の名前がコルチナ・ロアだった)と呼ばれています。能力は非常に高く、群大に来る前にも大変活躍していた馬です。
群大に来てからも変わらず、様々な大会に出場し活躍を続けています
もみじ
紅葉は境町のトレセンからやってきました。
平成4年の晩夏、まだ夜も明けきらない朝の5時に馬運車で引き取りに行ったところ、
暗闇から一頭、真っ黒な馬が近づいてきました。
胸が広く、蹄が大きく、そして何よりも頸の付け根がしっかりとしていて、高く持ち上げられた頭は威風堂々としていました。
風が吹く日は怯えて走ったりと、まだ乗り慣れない新入部員達には難しい面もありましたが、大変まじめに障碍を飛越し、切ったや止ったことは数えるほどしかないでしょう。
試合に出れば小障碍程度の試合であれば必ずゴールを切って帰ってきました。
県大会でも数度入賞し、2段階障碍飛越競技では優勝をしました。
キュウリーポイント
トレセンの一倉調教師から藤巻さんが自馬として購入しました。小さい体でしたが、障碍もよく飛び県大会にも出場していました。また、扶助にも従順で一年生のジムカーナのデビュー戦にも使われました。
群叡
平成9年の夏、角谷さんからアラブの馬がいるよというお誘いを受け、急遽、入厩が決まった馬でした。何とかモノにしようと調教を始めましたが、腰が弱かったために、思う通りに調教が進まず、残念ながら試合で活躍する間もなく退厩となってしまいました。
とても愛嬌のある顔で、「本当は牛ではないのか?」と思わせる馬でした。名前の候補に牛に似ているからカウカウはどう?といった会話も飛び出すほどでした。
1990年代
スプリング・グレイ
宮崎大学時代に全日本学生で準優勝という経歴があります。足利乗馬学校の山崎先生からお話があり、当初は足利乗馬学校に預託という形で群大の馬になりました。
群大にやってきたシロは県大会などでも良い成績を残し、新入生の練習馬としても活躍しました。馬栓棒の上にあごをのせ、口から舌先だけを少し出し息をズズーッと吸い込む、そんな妙な癖があり、その表情が笑いを誘っていました。
テンパラーム
テンパラームは一倉調教師から頂いた馬でした。とても素直で性格の良い馬で、走ることが本当に好きな馬でした。次第と調教も順調に進み、試合にも出られるようになりました。しかし、ある雨の試合で、足下を滑らせて転倒。
そのまま息を引き取る大事故に遭ってしまい、短い一生を終えました。テンパラームと過ごした時間を、ふと思い返すと、テンパラームはいつもの優しい目で、「精一杯生きなさい、後悔のないように」と教えてくれているようです。
バネット
写真・情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
群翔
入厩したばかりの頃の群翔はとても痩せており、かなりみすぼらしい感じだった。
大変ナイーブな馬で、試合でもおどおどしていたが、かなりタフで高さのある障碍も問題なく飛んだ。もう一つの特徴は、彼の頭の良さだ。しかしそれはcleverでなくwiseであったと思う。
新入生たちは順位が下だと思われ、ピクリとも動こうとしない、ところがひとたび走り出すと、新入生の意志とは反対にどんどん加速していき、新入生は馬とはこんなにも速く走れるんだと思わせてくれました。
しかし、新入生でも秋口あたりの東北大学主催の新人戦の頃には何とか言うことを聞いてくれるようになり、レベルの上達を計る、一つの基準ともなったような気がします。
ハルノハナ
情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
優美王
写真・情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
1985年代
オールウィン
オールウィンの性格は非常に温厚で人懐っこく、世話もしやすい馬で、外見も細身ですらっと背が高く顔もハンサムでした。
食欲はとても旺盛で、飼い付けの時にはものすごい勢いで前掻きをしていました。その性格の素直さからか、実際に騎乗してみても従順であったため、一年生の練習馬として大活躍していました。
また、新井さんを乗せて中障碍をゴールしましたし、関東学生の2回走行では田島さんを乗せて飛び回ってくれました。
シャイアン・ブルー
脚力養成馬、伝統の馬といわれていたシャイアンです。
クリームがかった白い体とつぶらな瞳が魅力の彼は、乗り手の気迫の程度に敏感に反応するという
厳しい面も持っていました。朝馬房から出してあげると、うす茶色になっている部分が混じっていることがよくありました。
ボロの上が暖かくて気持ちよかったのでしょうか。
時にはじんましんに苦しんだり、足に疲れが出たりと、デリケートな面もあったようです。
流星群
ピースケは安野さんの所有馬として、伊勢崎のトレセンから頂くことになった馬です。本名は流星群でしたが、顔に流星があったというわけではありません。
本名と別にあだ名をつけるといったこだわりから、ピースケという名前で呼ばれていました。OBとしての馬術部の関わり方を模索していた安野さんは、形式上はオーナーとし、休日は調教をかねて積極的に乗せてもらい、実質は部員たちが自由に使える馬としました。このようなケースは群大では初めてだったのではないでしょうか。
ブーメラン
赤城国体の後に、プロファイル、サンダーらと共に、群大にやってきました。当時は”桜次郎”という名前で呼ばれていましたが、「障碍から帰ってくる!」という意味でブーメランと名付けられました。
潜在能力はバツグンにあり、それまでに群大で乗っていた馬のレベルから考えると、ワンランク上の馬といった存在だったようです。だた、その分非常に難しい馬で、この馬のレベルの騎乗者がいなかったというところに、この馬の不幸があったのかもしれません。
プロファイル
プロファイルは当時、群大馬術部で唯一の外産馬でした。先輩たちの調教のおかげで、昭和60年頃から本格的に活躍を始め、障碍の試合馬としてその能力を発揮しました。ブーメランや群龍などのライバルを蹴散らし、自他共に認める群大のエースとして活躍しました。性格はすこぶる良好で、馬房ではいつも下唇を少したらしていました。
唇を引っ張っても、首にぶら下がってもお構いなし。放牧中に”プロ”と呼ぶと帰ってくる、そんな素直な馬でした
スティックス
身体にまだ硬さがあるところから”スティックス”と名付けられました。
まったくの新馬からの調教ということで、皆、頑張っていましたが、思うように成果が上がらず、短い期間での退厩ということになってしまいました。しかし、彼から学んだことは大きかったと思います。
光玉
写真・情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
ノーブルゲイン
写真がありません。
臆病だけど、ちょっと馬見知りもするけど、けっこういい馬でした。群大馬として試合には、県大会で一回しか出場しませんでした。
たった7ヶ月しか群大にはいなかったですが、この馬から学んだことは多かったと思います。
巡洋
OBの新井さんと東京慈恵会医科大学OBの石黒さん御二方の預託馬として群馬大学にやってきました。
温厚で素直な性格、くりっとしたかわいい目をした巡洋でした。
1980年代
駿麗
写真・情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
駿陽
ガジラ、ガッちゃんとも呼ばれていた駿陽号。いつもガジガジといろんな物をかじる癖があったことから、そんなあだ名が付けられました。
馬体が細く魚馬とも呼ばれていて、鞍傷ができやすかったり足腰も弱かったようですが、体型を理解した上で駿陽が活躍できるように世話をするのは、当番にとって一つの楽しみでもありました。
群龍
全日学の予選もかねている試合、我が群馬大学からは小林さんと群龍号が出場し、2回ともゴールを切り順位は52位でした。
その結果後日の幹事会で、全日学への出場権を得ました。初めての大きな試合での小林選手の活躍は、これらの学馬連への大きな踏み台になるでしょう・・・・。
(50年記念誌より抜粋)
マリーナ
写真がありません。
マリーナは足利乗馬クラブから来た、大流星・栗毛のアラブ種でした。57年春の学馬連の障碍飛越競技では見事満点でゴールするという、群馬大学馬術部にとっても初めての快挙を成し遂げました。これは諸先輩方の努力や指導が実った瞬間でもありました。
しかし、馬術部の火事の際に火傷を負ってしまい、蹄叉腐乱で立っていることもできず、安楽死ということになってしまいました。
ジュリアン
今に比べて当時の群大の馬は馬体が小さく、その中でもまた小振りな馬がジュリアンでした。
とても人なつこくて、放牧しているときにハンモックで昼寝をしていると体をすり寄せてくるようなかわいい奴でした。豆タンクと呼ばれるくらい元気で、駈歩練習をやり始めた一年生がジュリアンで走られるのは日常茶飯事だったようです。
障碍も果敢にこなし、招待試合や県大会にも出場、その上馬場馬術の試合にも参加していました。
マノン
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エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
ライナープリンス
情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
群雄
情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
サンダー
赤城国体終了後、何頭かの仲間たちと一緒に県馬連から群大馬術部にやってきました。練習馬としては多少重かったけど、しっかり扶助してあげれば障碍も向けていくだけで飛んでくれました。ただ、ちょっと気を抜くと速歩に落ちてしまい、新人には練習にならないこともしばしば。
「駈歩!」と怒鳴って練習が終わってしまうこともあったように記憶しています。
それでも、障碍に向けると速歩のまま、「ドッタン」と飛ぶのでお世話になっていました。
1975年代
ナンダンオー
トヨカツ号の後任としてテルヒカルと同様に高崎競馬場から購入した馬匹です。気まぐれな性格だったようですが、乗馬練習、障碍飛越、馬場馬術を器用にこなし、十分に役目を果たしたようです。
11年もの長い期間にわたって、群大馬術部に貢献した馬でした。
ツルチカラ
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エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
群麗
情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
クロ
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エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
サンサファイア
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エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
晃石
写真・情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
極朗
写真がありません。
足利乗馬クラブから購入した馬で、とても歩様の良い馬だったようです。
埒と同じ高さの台に横木を渡しても簡単にクリアする程の能力の高い馬だったようですが、腰の怪我が再発して乗れない状態になってしまい、やむなく退厩となりました。短い期間ではありましたが、高い潜在能力を持った馬だったようです。
吟雪
写真・情報がありません。
エピソードなどご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
1960年代
トヨカツ
昭和42年12月、東京の篤志家より寄贈されました。なんと有馬記念第2位他、数々の優秀な成績を有します。
赤城の馬場で練習、使役に励んだ人たちにとってはクラブの思い出はこの馬とともにあるのかもしません。
トヨカツ号は馬場が小坂子にあった当時、敷地の一角を利用させて頂いていた塩野七郎氏の仲介で、大雪号とともに部馬として迎えられました。
サツマテル
昭和23年の馬術部発足から10年後、部馬購入の機運が熟し、馬術部で初の自馬、「サツマテル号」の購入となりました。
かねて馬術部としていろいろな点でお世話を願っていた水沢市の岩渕先生に相談の結果、皇太子のご成婚パレードに備えて宮内庁で馬匹購入の話があり、その際の競売に加わることとなりました。
このときに購入したのがサツマテル号で、当時4歳。馴致と運動はほぼ完成された状態でありましたが、馬場運動、障碍はまったくの白紙で、立派な乗馬に仕上げられた諸先輩方の努力はすばらしいものがあります。
余年にわたり部馬として貢献し、1970年に功労馬として日本馬術連盟から表彰を受けています。医学部での馬場の時代を黎明期とすれば、赤城の馬場から荒牧の馬場への変遷、発展の時期を支えてくれた最も貴重な恩馬でもあります。